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Hanamizuki (Cover) [DORMITORY REMIX]

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ドミトリーという名前を耳にすれば、多くの人が思い浮かべるのは安宿、格安ゲストハウスだろう。  安くて、安っぽくて、安安しい──そこに、高級的な響きはおよそゼロと言っていい。  そこにきて、当の彼らがドミトリーの実態がどうかといえば、一度彼らの楽曲を聴きさえすれば、一目瞭然というやつだった。  とても気安い──否。 
  ──とても、聴きやすいのだ。 
  今の時代、手間も時間もかけられた音楽を耳にするのはとても容易い。それがUSだろうがUKだろうが、配信サイトにアクセスしてトップチャートをチェックするだけでいい。  これを料理で例えるならば、なんの労も費やさずに、高級なフレンチや豪勢な中華に舌鼓を打てるということになる──と、別の例えで置き換えることで、見えてくるものがあった。 
  果たして音楽鑑賞というものは、文化的にそれで正しいのだろうか──ということである。 
  毎日朝昼晩の三食において、全て超一流のシェフによる天下一品の料理が配膳されたとして、そんな生活を健全と呼べるかといえば、そこには多分に議論の余地が残されている筈だ。  そこで──だ。  たまには三流の料理人によるB級のグルメを食べたいと思うのが我々人類のいじらしさというものではないだろうか。  重ね重ね、そこで──なのである。 
  そこで──彼らがドミトリーの本領発揮というわけだ。 
  強い言葉を使わなければ、強かなボースティングを行うわけでもない。  気まぐれにパチスロの話してみたり、無駄に失恋のエピソードを振り返ってみたり──。  とにかく、ドミトリーの楽曲には、およそ節操というものがない。  粗相ならある。  それも大量にだ。  だが、しかし、無論、それでいいのである。  一流のアーティストの一流の音楽から淘汰されてしまった尊い何かが、彼らの楽曲には燦然と残されているのだから。  無駄の。  無駄で。  無駄な。  本来取り除くべき『アク』とも呼べるそれが色濃く浮遊、ないし沈澱している彼らの音楽は、聴き慣れた音楽と音楽の合間に鑑賞することで、その価値を明らかにさせる。  彼らのラップを聴くたびに、ふと思うことがある。  昔は、質より量とされているような台湾料理屋で、苦しいくらいに油こいものを食べて、互いに膨らんだお腹をさすりながら、友人らと笑って店を出たものだ。  今では低カロリーだとか、低糖質だとか、フォトジェニックだとか、あれやこれやと付加価値のついた料理ばかり摂取している気がする。少し高い価格のものでも、外食費として払えない金額ではなかったし、なにより過不足ないボリュームの料理は、食後すぐに次の行動にとりかかることができる。  だが──何かが足りないのだ。  何かが──切なく感じてしまうのである。  そんなときに、僕はイヤホンを耳にあて、ミュージックアプリを起動する。  再生する音楽はもちろん、ドミトリーだ。 
  ・・・・・・まあ別に、何かが満たされるわけではないのだけれど。